秋麗さやけし B
 



          




 次の競技は“借り物競走”。コース毎に封筒が置かれてあって、中に入っているカードの指示に従い、サンダルだの眼鏡だの、観客席から借りて来てゴールするという、アトラクション系の競走で。ついついこれまでの習慣で、走ることそのものを競う競技は避けて来たセナくんの、これが高校生最後の体育祭競技となりそな気配。
“そりゃあ、ボクだって。”
 広いフィールドを思い切り駆け抜ける爽快さを知ってからは、日常の中でついついという突発的な場合以外にも、このままスピードを出し切って、息が切れるほど走り通してしまいたいなと思うような場面も多々あって。やたら天気のいい日の体育の授業だとか、球技大会でのサッカーや野球のゲーム中。ここで一気に走り抜けたれば、一発逆転は間違いないなんていうシーンも結構あったのだけれども。そのたびに脳裏に思い浮かぶのは………あの恐ろしい悪魔さんが激怒する図や、足が速いということを隠していたがため、今まで欺かれていただなんてと嘆くまもりの姿などなど。あまりに夢見のよろしくないものばかりだったゆえ、事情を良く知るモン太くんから“仕方がないさ”と慰められつつ、フィールドの外ではフツーの男の子の振りをし続けたセナだったのだ。
“それに…蛭魔さんの言いようにも一理あったしな。”
 正体が明らかになった場合、他の部活からの引き合いが降るようにあるだろうからという難点に関しては、まま、何とか断ることが出来たとしても。(蛭魔さんが出て来りゃ、断るのも楽勝だったんではないかという説が。)

  『勝負にはハッタリが大事なんだよ。』

 正体不明だからこそ、背負った謎もまた ただならぬ健脚というパワーの上へ得も言われぬ雰囲気を上塗りし、いかにも自信ありげな堂々たる選手に見せる効果を発揮する。それでなくたって素のお顔は…ちんまりと大人しく、それは素直な男の子なもんだから。もしも正体が知れたなら、ビビらすどころか逆に威嚇されてしまうこと請け合いで…いや、誰もそこまでは言ってないけれど。
(笑)

  “威嚇なんかには負けないけどサ。”

 何しろ、たとえアイシールド越しであれ、最初の内は誰へでもビビりつつ当たっていたほどで。(おいおい)それでも…土壇場になったれば、どんな強敵にだって胸を張って果敢に挑んで来たセナだから、本人の気質や心意気には何の虚飾もないのだけれど。舐めてかかったそのまんま、図に乗って来るおバカもいたりするので、余計な勢いをつけさせてどうすんだという杞憂が先立ってしまう蛭魔さんだったんだろうなというのは、セナ本人にも何となく判る。日頃は目立たないままにいた方が良いという穏便な構えは、セナ本人の…夢見がちだが実のところは地道な気質に合ってもいるに違いなく。

  “大学でもやっぱり素性は隠しといた方が良いのかなぁ。”

 どうなんでしょうね、そのあたり。主力格には割とあっさり素性もバレまくってましたけれど。

  「………。」

 場内放送や溌剌としたざわめきが溢れる、そんな場の隙間にはまり込むようになって。そんなこんなを考えていたところへ、
「…小早川、何をぼんやりしてるんだ?」
 係に呼ばれて“あやや”と肩を撥ねさせる。
「4組目、全員揃ってるな?」
 各学年別のレースごとに横ならびを確認されて、さて本番の舞台であるフィールドへ。3学年合わせて9レースある“借り物競走”は、基本的にはトラックを半周弱ほど走る100m走であり。途中にお手玉で留め置かれた封筒があって、それを拾って中に入っているカードの指示に従うこととなっている。中には意地悪なものもあり、恐持てのする教諭を指定してあったり、校舎の果ての理科室の看板を持って来いなんてな無茶なものもあったりするとか。
“妙なものが当たりませんように。”
 思わず胸の前にて手指を組んでお祈りしてしまうセナくんだったが、それがちゃんと届いてくれたか、

  「よーいっ。」

 次々にと手際よく、流れ作業的にスタートラインに並ばされ、最低2つ前の全員が何とかゴールしてからのゴーサインが出る事となっているその4番目。パンッとスタートを告げる火薬が弾けて一斉に駆け出したその中ではトップを取れたが、

  “……………?”

 広い上げた封筒の中、ちょこっと曖昧な指示が記されたカードに眉を下げる。辺りを見回し、一通りの雑貨を放り込まれた“道具箱”がコースの脇に設置されてあるのへ近寄って。その中にあったアメフトのボールを掴み出すと、苦笑混じりに駆け出しかけた…のだが。


  「ガフォアァッ!」

   ――― え?


 背後からの聞き覚えがあるあの声は? 鋭い棘のついた首輪も勇ましく、ずんぐりむっくりの肢体に似合わぬ機敏な走りで標的へ一気に襲い掛かること疾風の如し。ここいらでは一番に獰猛な番犬。

  「………ケルベロス?」

 その姿がやっと任視出来るほどという遥かな後方から、一気に駆けて来た、無表情の地獄の番犬。特に飼っていた訳ではないながら、あの蛭魔が何かというと至便に使ってもいた最強犬で。それが今、何を目指してだか、物凄い勢いでこちらへと駆けてくるもんだから。

  「ひやぁぁあぁ…っっ!」

 これもまた刷り込みというものなのか。形相荒くこっちへ向かってくる勢いの凄まじさに気圧されて、トレーニングと かこつけては引っ張り回されたり追いかけられたりした記憶が、セナの背条を這い上がって来たから堪らない。その姿を見極めた瞬間こそ堅く強ばってしまった足だったものの、それを地面から引きはがしたその途端に、セナの足元で“条件反射”という名の何かが弾けて。そのまま脱兎のごとくというスピードで、ゴール目指して駆け出すその脚の、速いこと速いこと。たまたま抱えていたアメフトのボールを、きっちり脇にセットしての走りは、まんま“アイシールド21”を彷彿とさせなくもなく。砂煙を上げかねないほどという俊足ならぬ“瞬足”は、前の組の1位さえ追い抜いて一気にゴールを突き抜けて………。

  「ちょっと待て。ありゃあ、そう簡単には止まらないぞ。」

 そのまま真っ直ぐ突き進んだら、校庭を取り囲むフェンスに激突しかねない。我を忘れているセナに、果たしてそれが判っているやらどうやらも定かではなく、

  「危ないっ!」
  「きゃっっ!」

 おおうという驚愕の声が一転、悲鳴さえ上がりかかったものの、


  ――― そんな進行方向へと姿を現した人影があって。


 ふわりと。斜
ハスに構えた体の脇へ、さして力も込めないままに延ばされた腕。さして目立つほど、ゴツゴツと逞しそうには見えないものの、Tシャツの上へオーバーシャツを重ねただけの肢体は、言われてみれば厚みがあって。進行方向にさりげなく立ちはだかった、そんな彼がゴールであるかのように、セナの側でも何とか頑張ってブレーキをかけて………。

  「………っ!」
  「ひゃぁ〜っ。」

 俺の胸へ飛び込んで来いというよりも、ラリアット崩れの“キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”。
こらこら 飛び込んで来る速度を加味して、その力を受け流しつつ…無事に受け止めた勇者の懐ろ、無事に抱きとめられて………頬を真っ赤に染めてしまったセナくんだ。だって、

  「し、進さん?」
  「ああ。」

 あのね“ああ”じゃないでしょ“ああ”じゃ。
(笑) いくら何でもこれは間がよすぎる。こんな窮地になるなんてところからして、セナ本人にも未知の領域、予想だにしなかった突発的な事態だったのにと。助かりはしたが、何が何やら、状況が判らないと混乱気味のセナくんに、
「大丈夫かね。」
「今のって…何がどうしたの?」
 先生から執行部や実行委員の生徒たちやら、わさわさ集まって来かかったのへは、

  ――― ヒューィー………ッッ。

 まずは鋭い口笛が鳴り響き、勢い余ってそこいらに集まりかかっていた生徒たちをも追い回しかかっていた凶暴なる番犬くんが、それへ呼ばれて駆け去って。そんな彼を従えながら姿を現したのが、

  「あー、何でもねぇから。そのまんま競技を続けな。」

 ばさりと風を受けて大きくひるがえる、まがまがしい漆黒のマントが見えたような錯覚さえ招くよな。この学校に少なくともこの5年ほどを関わった人々には広く遍
あまねく、怪しくも恐ろしい人物の登場で。
「糞チビは怖いもんに追っかけられたから飛んでもねぇ馬力が出ちまっただけだし、こっちの仁王さんは駆け抜けようとするものに反応しちまう性分の持ち主なんでな。」
 さして不思議はなかろうよと、自信満々、艶やかに笑って言い切ったもんだから。しかもその足元にて、コロコロとした地獄の番犬くんが“バファオッ”と意気盛んに吠えたもんだから。

  「…あ、あははvv そうなんだ〜。」
  「火事場の馬鹿力って言うもんねぇ。」
  「そうそう、こういうことって良くあるわよねぇ。」

 事なかれ主義の真骨頂。なし崩し的に無理から納得し合って、それぞれの定位置へと戻ってゆく皆々様を、半分ほど皮肉っぽく笑いながら見送った、相変わらず居丈高な悪魔さん。当事者以外はこれで追い払ったぞと、さすがの手腕をご披露下さり、

  「…ったく。俺らがいなかったら脚の一本も折れてたぞ?」

 大きなラインバッカーさんの懐ろに捕獲されたまんまな、小さな韋駄天くんへとおもむろに振り返ったが、
「蛭魔さ〜ん…。」
 ふにゃりとお顔を歪ませて、今にも泣き出しそうになっている後輩さんには勝てない模様。明らかに“う…っ”と一瞬怯んでから、
「まあ、お前には非もないらしいことだが。」
 綺麗な手でぽふぽふと、柔らかな髪を撫でてやる。セナくんには見えなかったが、進さんの背中には誰かさんのつけた靴の跡がしっかりと刻まれており。観客席からこの展開を危ないと見て取った悪魔さんから、とっとと助けに行かんかいと、蹴られもって出動を促されたからこそ、あの窮地にも間に合ったのだそうで。

  “相変わらず、セナくんには甘いよねぇ。”

 こちらさんも来てたんですよの桜庭くんが、複雑そうながら“苦笑が絶えない”というお顔になっていて。
「何が何やらってお顔だね。」
 いきなり絶叫マシンに座らされたようなもんで、まだ足元がふらふらしているセナくんへ。さっきとは打って変わって大人しくなったケルベロスの頭を、その痩躯を倒しつつ撫でてやった悪魔さんを眺めやりつつ、桜庭さんが解説してくれた。

  「さっきの借り物競走で、セナくんの前の組にね、
   ケルベロスって書いてあったカードを引いた人がいたんだよ。」

  「………はい?」

 確かに無茶な指示もなくはないのがこの競走だが、人間以外の生き物を指示するのは道義的によろしくなかろうということで、暗黙の内に“禁じ手”になっていた筈なのに?
「大方、向こうからこっちを覗いてやがる誰ぞの仕業だろうがな。」
 そうと言われても…セナには誰がこっちを見ているやら、一人に絞っていられる余裕なんてまだなくて。混乱に支配されたまま、大きな手が髪を撫でてくれるのへ大人しくなされるままになっていたものの、
「動悸が止まらないんだろう? 後はいいから、今日はこのまま帰っちまえ。」
「…え?」
 そういう権限がある訳でもないのに堂々と言い切ってしまうところが、相変わらずに強腰な金髪の悪魔さん。過激な言いようをされたことで、
「そんな訳にもいきませんよう。」
 やっと何とか落ち着けたらしい。セナくん、進さんの懐ろから身を離しつつ、自分を制
めてくれた恩人さんを見上げて…にっこり。

  「指定通りの借り物になりましたvv」

 そんな風に言ってペコリと頭を下げて見せ、後もう少しですからと、自分たちの応援席へと戻ってゆく。自分たちは三年生で、これが最後となる大切な行事だから、中途で投げ出すのは忍びないということなのだろうが、
「指定通り?」
 どういう意味かなと小首を傾げて顔を見合わせたOBの皆様。そんな彼らの足元には、さっきのどさくさに落としてしまったらしい、セナくんへの指示が書かれたカードが落ちており。アメフトボールを選んで駆け出しかかった彼だったけれど、カードに書かれていたのはね、


   ――― 一番に好きなもの。


 だったそうですよ? 御馳走様ですvv

  【借り物競走が終了しました。
   次はいよいよ、クラス対抗リレーです。出場する選手は…。】

 遠くに割れながら響くのは、次のプログラムを読み上げる放送部の声。ちょっとしたハプニングもこういった祭典なればこそのアクセントとして呑み込まれ、席へと戻った韋駄天くんへは、クラスメートたちが心配したり笑いかけたり。様々にエールを振りそそいでいる模様。ちょっぴりワクワク、されど平和な秋の休暇の一日が、こうして過ぎゆこうとしております。






   〜Fine〜  04.9.21.〜9.24.


 *前半のお話のところで触れ忘れたけど、
  そういえば、去年の秋のお話の中で、進さんも免許を取るつもりとかどうとか、
  そういう話題を出したような気がするんですが…。
  その当時の bbsでどなたかに注意されたように、
  練習の段階でアクセル踏み抜いて、
  周囲から止められたとかだったら笑えますよね。
こらこら

 *さてとて、続きをお待たせしちゃった割に
  何だか取り留めのない代物になった後編でしたが。
  あんまりだだ長いので削ろうかどうしようかと迷った揚げ句、
  本文から抜いたのが次の“おまけ”です。
  よろしかったら、どうぞですvv

ご感想はこちらへvv**


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  おまけ〜 十セナスキー様へvv


 部室の中に入って、まずは流しで傷口を洗えと背中を押された。相変わらずに小さい手で、運動着越しにそれが触れたところだけ、ほわんと暖かくなる。ルーレットの嵌まった羅紗張りのテーブルに救急箱の中身を広げている小さな背中をチロリと見やり、やれやれと苦笑しながら流しへ向かって、言われた通りに傷を洗った。それからおもむろに戻ってくると、並んだ椅子の片方に座り、もう1つの座面をポンポンと叩いて“此処に座れ”と指し示す急造のお医者さん。小さな手が慣れない様子ながらも一丁前に手当てをしてくれるのが、相手が懸命だと分かっていればこそ、擽ったいやら微笑ましいやら。サポーターとしてのバンテージテープを巻きつける要領も知っているほど、全くの素人ではないからね。関節部やら太さが変わる部位やらへの巻き方だって、一応は熟知しているのだが、
「…あ、ダメって。」
 包帯を巻かれていた間だけ、わざとに少ぉし力を込めてた腕。さあ結ぼうというところに至ってから、ひょっと力を抜き、腕回りを細くして包帯を緩めるというよな、余裕の“おイタ”をした十文字くんだったもんだから。
「んもう。///////
 からかわないでってば、と。口許を尖らせ、上目遣いで非難の“もうもう”を連発するセナであり。ちょっぴりムキになった稚
いとけないお顔が何とも可愛い。最初からやり直しだよう、もう悪戯は無しだからねと。念を押されて“はいはい”と返す。
「キツくない?」
 ズレないように、でも、痛くはないようにと、クルクル手際良く巻きつけてゆく。こちらの腕をじっと見下ろしたままな、少しばかりうつむいたお顔。こんなにも間近に身を寄せ合って、相手の顔をこうまで至近から見るなんて、思えば随分と久し振りのことではなかろうか。集中していればこそ無心にも見える、それは柔らかな造作のセナの顔。ふかふわな前髪の下、伏し目がちになった目許では、睫毛が頬の縁に淡い陰を落としていて。小鼻の下には ちんまりふっくらとほころんだ緋色の唇が、微妙な加減でしっとりと合わさっていて…何ともいえず優しい趣き。

  “………。”

 ああもう末期だよなと、つくづくと思う。コージが、ショーゾーが感づいてたって不思議じゃねぇよな。こうしてると頬から口許から、擽ったくて たまんくなるし。こいつはもう誰かのもんならしいけど、今そいつは此処にはいないんだから。二人きりなんだから。この空気くらい、独り占めしてても良いよな、なんて。気の小さいこと、思ってみたりする。嫌われんのはもう慣れっこだけどよ。優しいこいつが困ったような顔をするのは、やっぱ見たくはないもんな…。

  「…子供じゃねぇんだからってサ。」
  「え?」

 ぽつりと落とした声へ、セナが素直に反応して顔を上げた。大きな瞳を瞬かせながら“???”と小首を傾げる仕草が、リスやハムスターみたいな小動物系で、本当に可憐で愛らしい。
「小さいころはサ、大人が手をかけてくれるのが、子供扱いだからってずっとずっと嫌いだったけど。」
 要領が良いのが大人だと、成功したけりゃ俺を見習やいいと、そうと言って譲らなかった傲岸な父。ほら貸してみなと、やりかけてるもの、良く横取りされもして。それへの反感もあってか、肩をそびやかして強がっているのが常になった。誰にも分かってはもらえない。それで良いさとひねこびて、仲間以外の誰ぞの手を借りるのは好かない方だったのだけれど。
「誰かにこんな風に手当てや何や、やってもらうのって、何か特別な感じがして。」
 止まったままな小さな手の暖かさ。それを感じたまま。和んだ眸のまま、くすんと笑って。

  「いいもんだなって。」

 ぽそりと一言だけ。呟くみたいに言ってしまって。ああ、なんか。俺って馬鹿みてぇと、急に恥ずかしくなって。あとはホックのついたゴムの留めで始末すりゃ良いだけだからと、立ち上がりかけた十文字に、

  「…いつだって、言ってよね。」

 セナが、やっぱり小さな声でそうと言った。救急箱から爪の立った小さな金具つきのゴムのホックを摘まみ出し、包帯の端っこをきちんと留めて。
「ボクなんかで良かったら。あのね、とろいけど出来るだけお手伝いするから。」
 だからネ、何かあったら…頼りになんなくても声かけてねと。もしかして同情されたかなと思わんでもないような、そんな言われようをされてしまった十文字くんだったりするのである。
“………。”
 恐らくは何も知らないやさしい子。却って酷な優しさへ、けれど…つけ込んでまではその手を伸ばしも出来ず。十文字は少しほど困ったように苦笑しただけだった。


  ――― まあ、いっか。



   〜Fine〜 04.9.24.